Unit 01-A: リスク構造調整による新しい制度設計
東京大学大学院経済学研究科教授 岩本 康志
日本の現役世代のための公的医療保険は、大企業労働者のための組合健康保険、中小企業労働者のための協会けんぽ、公務員のための共済組合、自営業者・無職者のための国民健康保険に分かれている。それぞれの財政は基本的には独立しているため、被保険者の所得水準の違いによって、財政状況に格差が生じている。組合健康保険、共済組合の財政状態は比較的安定しているが、協会けんぽは組合健保よりも厳しい状態にある。国民健康保険の財政状況はさらに厳しい。
公的健康保険の間の格差だけではなく、それぞれの制度内でも格差が存在する。国保では、都道府県内に最大で2.6倍の保険料の格差が存在する。組合健保のなかでも、被保険者の平均所得が低いと、一定の給付財源を得るには、保険料率を高くせざるを得ない。
ただし、現在の制度には、完全な独立採算制であれば生じたであろう格差を縮小するための財政的な調整制度が導入されている。例えば、国民健康保険では、国と地方の公費負担がある。地方負担では、給付費の9%が都道府県の負担(調整交付金)となるほか、高額医療費の再保険事業と低所得者の保険料軽減策に対しての都道府県や市町村の負担があり、合計で約1兆2,000億円(2014年度予算)になる。さらに、市町村は約3,500億円(2012年度決算)を一般会計から繰り入れて国保の赤字を補てんした。
しかし、そのような調整の下でも、上にのべたように、保険料負担の格差は現存している。仮に、格差を完全になくすために完全な財政調整を行うと、保険者が医療費を節約する財政改善のインセンティブを阻害するから、部分的な財政調整しか行われていないためである。
実は、財政改善のインセンティブを阻害しないで、保険料負担の格差を根本的に是正することは可能である。その例は、協会けんぽである。協会けんぽは全国の労働者とその扶養家族が加入する保険であるが、都道府県ごとの支部が運営の基本単位であり、保険料は都道府県ごとに違っている。その仕組みには「リスク構造調整」という考え方が組み込まれている。
医療費は、(子どもを除くと)年齢とともに上昇していくため、医療保険の加入者に占める高齢者の比率が高いと、独立採算のもとでは保険料を高くしなければいけなくなる。また、被保険者の所得水準の都道府県格差があるため、仮に独立採算で運営されていれば、例えば沖縄県の保険料率は非常に高く、東京都の保険料率は非常に低くなる。
そこで、まず、都道府県の医療費の違いを、①年齢構成の違いで説明できる部分と、②所得水準の違いで説明できる部分と、③それらでは、説明できない部分に分ける。つぎに、①と②の要因では保険料率が違わないように財政調整を行う。これが「リスク構造調整」である。その上で③の部分については、独立採算のように保険料率に反映されるような仕組みとしている。
リスク構造調整は、保険者の経営努力を阻害しないまま、保険料率の格差を調整することを意図している。加入者の年齢構成や所得水準のような、保険者が選択することのできない原因によって生じる保険料格差は調整するが、それ以外の原因で生じる格差はそのまま残す。後者の原因については、保険者が保険料軽減のための努力をすれば、その成果は他の保険制度に漏出することなく、すべてその保険内で享受することができる。
筆者は、1996年に、リスク構造調整をすべての医療保険制度に導入することを提案した。この提案の実務的な利点は、保険料負担格差をなくすために、現行の多数の保険制度を合併することなく、移行費用が低くすむことである。制度間の財政調整制度を導入する必要があるが、全制度が関係する財政調整のための事務インフラとして前期高齢者にかかる財政調整制度が存在するので、そのシステムを改修して利用することで導入が可能である。
リスク構造調整は、一度に、日本の公的医療保険制度の全体に導入しなくても、導入の範囲を、協会けんぽから次第に拡大していくこともできる。例えば、現在、改革の詳細を設計中の国保改革のなかで、リスク構造調整を導入することが考えられる。国保では、まず、年齢に関するリスク調整は基本的に行われていない。このため、大きな保険料格差が存在している。しかも現在の国保の財政調整が給付実績をかなりの程度反映するものとなっているため、保険者が努力して医療費を節約するインセンティブが働いていない。
国保にも協会けんぽと同種のリスク構造調整を導入することによって、保険料格差を縮小させ、かつ保険者の経営努力を引き出すことを目指すべきである。
(2015年6月2日公表)
<参考文献>
- 岩本康志(1996)「試案・医療保険制度一元化」、『日本経済研究』、第33号、11月、119-142頁(八田達夫・八代尚宏編『社会保険改革』(シリーズ現代経済研究16)、日本経済新聞社、1998年に収録)。