Unit 02-B: 農政アンシャン・レジームからの脱却
キヤノングローバル戦略研究所研究主幹 山下 一仁
1.農業衰退の原因
農業が衰退している。特に、米が著しい。農家の7割が米農家なのに、米農家は農業生産の2割しか生産していない。これは、米農業が零細で非効率な農家によって行われていることを示している。
戦後農政の特徴は、米価によって農家所得の確保を図ろうとしたことである。政府が農家から米を買い入れた食管制度のもとで、1960年代以降、JA農協(農業協同組合)は米価闘争という大政治運動を展開した。自民党の支持基盤である農村を組織する農協に突き動かされて、政府・与党は米価を引き上げた。
食管制度が1995年に廃止された後は、減反によって、高い米価は維持されている。減反とは、生産者に補助金を与えて、米の生産を減少させ、米価を高くするという政策である。この補助金を給付するため、納税者は4千億円も負担している。また、米価が高くなるので、消費者は6千億円もの過度な負担をしている。つまり、2兆円規模の米産業に対し、国民の負担は1兆円にのぼる。
高米価は米農業に悪影響を与えた。米価が高いので、本来なら産業から退出するはずのコストの高い、零細な規模の兼業農家が、米生産を継続した。彼らが土地を手放さないため、農業だけで生きて行こうとする主業農家が、農地を集めて規模を拡大し、コストを下げて、収益を向上させることは、困難となった。
高米価・減反政策を強力に推進してきた農協は、本来、農業資材を安く購入するために農家が作った組織のはずなのに、独占禁止法の適用を受けないという特権を利用して、アメリカの倍の値段もする肥料、農薬、農業機械、飼料などの資材を農家に押し付けてきた。当然、農産物価格も高くなる。
国内の農業資材や農産物の価格を高くすれば、これらを販売する農協は、それに比例して多くの販売手数料収入を得ることができる。国際価格よりも高い農産物価格を維持するためには、高い関税が必要となる。
2. 農協が高米価にこだわる理由
戦後の食糧難の下で米を農家から政府へ集荷するため、金融から農産物集荷まで農業・農村の全ての事業を行っていた戦前の統制団体を、衣替えして作ったのがJA農協である。このため、日本のいかなる法人にも許されない銀行業の兼務が認められ、また、農家の職能団体であるはずなのに、地域の住民ならだれでも組合員になって農協の事業を利用できるという“准組合員”制度が認められた。しかも、その後、生保事業や損保事業も追加された。農協は例のない万能の法人組織となった。
図1からもわかるように、1955年から農業所得はほとんど横ばいである。1960年代の後半には、多数の米兼業農家が滞留したため、農外(兼業)所得が農業所得を上回るようになった。さらに、後継者がいない農家の高齢化が進み、高齢化による年金収入が増加した。
農外所得や年金収入、さらには年間数兆円に及ぶ農地の転用利益は、銀行業を兼務できる農協に預金され、農協は貯金残高約94兆円の我が国第2位のメガバンクに発展した。
衰退している農業自体への融資は、農協預金の1~2%程度にしかならない。そこで農協は、農家ではない地域の人を准組合員に勧誘することで、預金の3割を准組合員に対する住宅・車・教育ローンや元農家へのアパート建設資金などに貸しだした。残りの7割は、農林中央金庫がウォール街で資産運用している。積極的な勧誘の結果、准組合員は年々増加し、農協は正組合員より農家ではない准組合員の方が百万人も多い、(括弧付きの)“農業”の協同組合となった。米価をつり上げることによって、農協が持つ全ての歯車がうまく回転したのである。つまり、農業を発展させるために作られた組織が、それを衰退させることで発展したといえる。
このような農協にとって、TPPによって関税が撤廃され、米価が低下して非効率な兼業農家が退出し、主業農家主体の農業が実現することは、組織基盤を揺るがす一大事だ。だから、1千万人以上の署名を集めることとなったTPP反対運動を展開したのである。
どの国にも、農業のために政治活動を行う団体はあるが、その団体が経済活動も行っているのは、日本の農協をおいて、他にない。しかも、農協の政治的・経済的利益が、高い価格維持とリンクしている。このように価格に固執する圧力団体は、EUにもアメリカにも存在しない。
3. アベノミクスの農協改革
2015年、とうとう、70年間ほとんど手を付けられなかった戦後最大の圧力団体、農協の改革が実現した。
まず、2014年5月、政府規制改革会議は以下のとおり農協改革案をまとめた。
第1に、農協の政治活動の中心だった全中(全国農業協同組合中央会)や都道府県の中央会に関する規定を農協法から削除する。全中や都道府県の中央会は多額の賦課金を徴収してきた。農協法の後ろ盾がなくなれば、全中等は義務的に賦課金を徴収して政治活動を行うことも、強制監査によって傘下の農協を支配することもできなくなる。
第2に、農産物の販売などを行う全農(全国農業協同組合連合会)やホクレンなどの株式会社化である。全農を中心とした農協は、肥料で8割、農薬・農業機械で6割のシェアをもつ巨大な企業体であるのに、協同組合という理由で、独占禁止法が適用されてこなかった。さらに、安い法人税、固定資産税の免除など、様々な優遇措置が認められてきた。
ここれは、翌月、農協の意向を受けた自民党によって、いったんは完全に骨抜きされた。しかし、安倍総理の意向に沿って、再度農協との間で協議が行われた結果、全中に関する規定を農協法から削除し、①全中を経団連と同様の一般社団法人とする、②地域農協は全中から独立した監査法人と一般の監査法人の監査を選択できるようにする、③都道府県の中央会は引き続き農協法で規定する、という内容で、決着した。
これにより全中による地域農協支配は弱まることが期待される。しかし、都道府県の中央会は、そのままであり、依然として強制的に賦課金を徴収できる。都道府県の中央会は全中の会員なので、都道府県の中央会が集めた賦課金は従来通り、全中に流れて行く。全中の政治力は、依然排除されない。
全農等の株式会社化は、全農等の判断に任されることとなった。協同組合であり続けるメリットのほうが大きいので、全農等が株式会社化を選ぶとは思えない。
本来なら、今の農協は金融と生活物資の供給を行う地域協同組合として残し、農業部門は、解散するか、新たに作られる農協に移管すべきだ。農協は、必要があれば、主業農家が自主的に設立するだろう。それが本来の協同組合である。これで、農協改革を終わらせてはならない。
4. 減反見直しによるエサ米の生産拡大
自民党は政権復帰後、減反政策を見直し、民主党が2010年に導入した戸別所得補償を廃止し、これで浮いた財源を活用して、前回の自民党政権末期の09年産に導入した米粉・エサ用の補助金を、13年産の主食用米の単位面積あたりの農家販売収入とほぼ同額まで増やした。それ以外にも産地交付金と称して10aあたり1.2万円の補助金、合計11.7万円が支給される。もちろん、農家には米粉・エサ用米の販売収入もある。(図2)
農家は米粉・エサ用の生産をすれば、13年産米価以上の収入を補助金だけで得ることができる。14年主食用米の農家販売収入は7万円に低下した。そうなれば、農家は米粉・エサ用米の生産を行った方が明らかに有利となる。
既に全農は、15年産ではエサ米として買い取る量を、14年産の20万トンから3倍に増やし、60万トンとするとしている。もし、農家がエサ米など非主食用米の生産を拡大すれば、その分、主食用の米は不足し、米価は上がり、所得の低い消費者の家計を圧迫する。さらに、減反補助金総額は膨張し、納税者負担も拡大されることになる。
大量のエサ米や米粉の生産は、アメリカからのトウモロコシや小麦の輸入を、大きく減少させる。価格の5%の補助がおこなわれるだけで、それを他国がWTOに訴えて、制裁措置をとることができる。米粉やエサ用の減反補助金は、主食用米価の100%以上に相当する補助金である。アメリカがWTOに減反補助金を提訴すれば、アメリカは必ず勝つ。しかも、アメリカは日本から輸入される自動車に報復関税をかけることができる。WTOは、異分野(例えば農業補助金で影響を受けた場合、農業以外の工業製品の分野)でも報復できるクロス・リタリエイションを加盟国に認めているからだ。コメの7倍の産業規模を持つ自動車業界が大きな打撃を受ければ、減反を廃止せざるをえない。
さらに、2014年国内米価の低下と輸入米の価格上昇で、内外価格差は解消、逆転した。(図3)このような状況では、輸出すれば国内価格よりも高い価格で販売できるので、わざわざ減反をして、国際価格よりも低い国内価格を維持する必要はない。減反を廃止すれば、8,000円程度まで国内の米価は下がり、輸出を大々的に行えることになる。輸出が増えれば、国内市場の供給量が減少するので、米価は上昇する。輸出価格が1万2000円なら、国内の米価もその水準まで上がるので、国内の米生産は拡大する。
短期的には、米価低下で影響を受ける主業農家には、財政から直接支払いを行えばよい。減反補助金の4千億円がなくなるので、財源は十分ある。米価が上昇していけば、この直接支払いは不要となる。さらに、米価低下により高いコストを賄えなくなった零細な兼業農家は、農業を止めて、農地を主業農家に貸し出すようになる。農地が直接支払いで地代負担能力の高まった主業農家に集積し、規模が拡大すれば、コストは低下する。減反によって、収量増加につながる品種改良は禁じられ、今では、日本米の平均単収はカリフォルニア米よりも6割も少なくなっている。コストは面積当たりのコストを単収で割ったものだから、減反廃止で単収が増えるとコストも低下する。規模拡大と収量増加で、日本米の価格競争力は、さらに一層向上する。
高い関税で守ったとしても、国内市場は人口減少で縮小してしまう。国内市場だけでは、農業は安楽死するしかない。品質の高い日本の米が、減反廃止によりさらに価格競争力を持つようになれば、関税が不要になるばかりか、輸出によって世界の市場を開拓できる。これこそ日本農業再生の道である。