Unit 03 キックオフペーパー: 地方創生と「少子化」

国立社会保障・人口問題研究所副所長 金子 隆一 

 わが国の合計出生率(または合計特殊出生率TFR)は2005年にこれまでの最低値1.26を記録した後、いくらかの回復をみせたものの、現在は1.4台半ばで小康状態にある。この水準は親世代に対して子世代の人口規模が7割となる生み方である。したがって孫世代ではほぼ5割となる。つまり出生率がこの水準で「安定」しているかぎり、日本人の世代規模は2世代ごとに半減をして行くことになる。ごく最近までは団塊ジュニアという大きな世代が親となる年代だったおかげで、90年代以降出生数には大きな落ち込みはなく、100万人を辛うじて上回ってきた。しかし、今後は親世代が団塊ジュニアに続く少子化時代に生まれた世代へと交代して行くため、縮小する世代がさらに小さな世代を生む「縮小再生産のスパイラル」の時代がすでに到来している。このままだと現在100万人ほどの出生数は、15年後2030年に約75万人、その30年後2060年には約48万人になると見込まれる。これまでは出生率の低迷について憂いてきたが、これからは次世代の実数が着実に減少して行く。「少子化」の本番は、実は今からなのである。

 政府はこうした未曾有の少子化、人口減少に危機感を強め、まずそれらの「現場」となっている地方からの縮退の流れを止めるために、全国のすべての自治体を巻き込んだ壮大なプロジェクトを開始した。「地方創生」である。詳しい経緯は他に譲るが、2014年5月民間有識者グループ日本創成会議が全自治体のおよそ半数にあたる「消滅可能性都市」のリストを公開して各界に衝撃を与えたことを受け(日本創生会議 2014)、同年9月政府は地方における人口急減への対処と経済活性化のために地方創生担当大臣ならびに事業体「まち・ひと・しごと創生本部」を官邸内に設置、初代大臣には石破茂氏が就任した。翌15年度には全自治体に対して地域ごとの事業指針「長期の人口ビジョン」と5カ年計画「総合戦略」の策定を求め、これらを受けて各地では有識者会議等が設置されたり、住民への説明会が開かれるなど各種の取り組みが行われており、現在ほぼ1年が経過したところである。また、マスコミを含めた国民一般においても、この問題に対する危機感と関心が広がっており、議論が高まりを見せている。こうした一連の流れを見る限り、地方創生はこれ以上ない、ねらい通りの滑り出しを見せた。

 ただし人口減少・人口高齢化は、われわれのライフサイクルから地域の存立や国民経済に至るまで広範囲において深刻な課題をもたらすとともに、その本質は社会・経済レジームのシフトという、いわば人類史に位置付けられた壮大な潮流とみるべきものであるから、現在の国民的関心がどうあれ、それが一過性のものなら、いささかも流れを変えるものとはならないだろう。「地方創生」にとって今決定的に重要なのは、次の一歩を正しい方向に踏み出せるか否かである。ところが、われわれはその方向について、実は明確な指針を持っているようには見えない。模索の中にあるといえるだろう。例えば、地方における定住促進のための東京一極集中の是正が、地方創生の基本姿勢の1つとされている。東京一極集中は、地方から若者を奪い、都市の低出生率に染めているのだから、これを是正することが地元の若者をつなぎ止め、少子化の解消にもつながるとされる。たしかに地方から東京への人口流を調節することは、具体的政策も見えやすく、また成功した地域にとっては人口減を緩和でき、対応への時間を稼ぐ効果がある。これは実際的には非常に重要な効果であり、推進されるべきであろう。しかし結局それは人口分布の調整であって、「日本」の人口減少の解決策ではない。すなわち「少子化」の解消がなければ、結局のところ「地方消滅」はなくならない 1)

 1) 海外からの移民も人口減少や人口高齢化を緩和する効果があるが、わが国が直面している規模の人口減少や高齢化を埋め合わせるには、非現実的な量の移民を受け入れなければならない。

 

 一極集中が少子化解消につながるという点についてはどうだろうか。地域人口研究の第一人者である原氏はその論文で、地方と大都市間の人口流を止めたときの出生率への影響の検証を行っている。その結果によれば大都市部と地方部の格差はわずかであって(0.20)この格差を是正しても、全国の合計出生率は「最大0.06程度」しか上がらない(原 2015)。つまり人の流れを変えるだけで少子化を解消することはあまり期待できない。また、実は都市と地方の間に見られる出生率格差は、そのすべてが都市生活にともなう出生抑制効果の産物とは限らず、選択効果による部分が大きい可能性がある。選択効果とは、地方から都市へ移動した若者の中に結婚・出生傾向の低い人が多かったり、逆に都市から出る者に家族形成傾向が高かったりした場合に生ずる出生率の地域格差のことを指す。この場合、出生傾向は個人の属性であるから、どこに移住しようとその行動は変わらず、日本全体の出生率は変わらない。中学生のクラスで、身長の高い生徒半数を選択して教室の右側に集め、左側に残った生徒と平均身長を比べれば格差が生ずるが、だからといってクラス全体の平均身長は変わらないのと同じである。実地調査によって人口移動の分析を行った小池(2009)は、この選択効果がわが国の出生率格差に少なくとも複合的に作用していることを指摘しており、出生率の地域格差はそのすべてを埋められるわけではないことを示している。

 結局、少子化の問題は正面から取り組む以外にないだろう。わが国における40年におよぶ少子化との対峙、とりわけ四半世紀に及ぶ「少子化対策」の経験からはそのことを学ぶべきである。すなわち諸外国の例やわが国の経験から、少子化への取り組みメニューはほぼ出揃っており、石破大臣の言葉を借りれば、少子化の解消に「これさえすればというような決定打もなければ、これまで誰も気付かなかったような奇策もない」。つまり子育て世代とその子世代の生活や成長に寄り添い、それらの質を保証する環境を継続的、安定的かつ長期的に提供して行く以外にないのである。少なくとも「地方創生」の中で、政府はこのことを認識している。ただし、この問題の第一人者であり国際的な権威でもある阿藤氏は、その論文の中で先進諸国の比較を通して低出生率の複雑な背景要因を明快に整理しており、その際に日本の「家族に関する社会支出」がOECD 21カ国中最下位である点を指摘し、日本の「少子化」の特徴の1つとして「子育て負担の軽減努力が十分でなかった」点を挙げている(阿藤 2015)。政府が「子育て支援策の強化を標榜しながらも」(阿藤 2015)、実際にはこうした状況にあることは、実は日本の「少子化対策」におけるある問題点を浮き彫りにしている。われわれが将来世代への投資をどれだけ真剣に考えてきたかという点である。

 われわれは「どうしたら出生率を回復できるのか?」と問う前に、まず「これだけ経済や社会を発展させてきたわれわれのやり方が、なぜ少子化には歯が立たないのか?」と問うべきである。われわれはこれまで何を優先し、何を優先してこなかったのか。また、出生率が好調なフランスやスウェーデンなどの個々の施策の導入を検討する前に、まずわれわれと彼らとの間に根本的な思想に違いはないのかを点検すべきである。われわれが真に求めているのは、高い出生率なのか、それとも頼もしい次世代なのか。ただし、ここではこれらの問いは決して倫理的にあるべき姿を問うているのではない。そうではなく、子育て世代の若者達や次代を担う子ども達が「少子化対策」を通して社会から受けているメッセージがどのようなものなのか、その内容しだいで反応は違うものになるということを指摘している。現在の社会状況に必死に適応しようとしている彼らの行動や人生を変えようとするのであれば、その事業の受益者が彼らであるという確信を与えなくてはならないだろう。なお、ここでいう「少子化対策」とは、国や自治体が行う施策だけでなく、企業などの取り組みをも含めたものであり、とりわけ地方創生の現場である自治体や地域企業の姿勢の影響は大きい。「地方創生」によって国民が社会存立の危機感を実感し共有した今こそ、個々のメニューをばらばらでアリバイ的な小手先の操作としないよう、本来われわれが目指すべき姿を真摯に問い、若者層の生活・人生と、国・地域の将来の双方に対する切実な思いを共有すべきときである。急ピッチの人口構造変化の中で、この機会を逃したとすれば、次にどのようなチャンスが訪れるのか、大いに疑問である。

 


<参考文献>

  • 阿藤 誠(2015)「地方創生と少子化対策」SPACE NIRA小論文(Unit 03-A)。
  • 小池司朗(2009)「人口移動と出生行動の関係について―初婚前における大都市圏への移動者を中心として― 」、『人口問題研究』第65巻(3) pp.3-20。
  • 日本創生会議(2014)「ストップ少子化・地方元気戦略」。
  • 原 俊彦(2015)「地方創生における少子化対策の在り方とは?」SPACE NIRA小論文(Unit 03-B)。